和竿制作・漆塗りの話
        プ ロ フィ ール
 
 
その1 優勝したおかげ
 






▲ 最初から我田引水で申し訳ない。この優勝が契機となって釣りに、竿作りに没頭しその後の生活を一変させる出来事だったのでご寛容をお願いしたい。


平成8年9月。報知新聞主催のシャクリ鯛の大会が神奈川県横須賀市鴨居港で開かれた。ご存知のように当地は、「鯛は西の明石、東の鴨居」と江戸時代から人々に賛美され、将軍家へ献上鯛の産地としても有名な所である。今日でもタイ釣りのメッカとして釣り人の憧れの地である。


大会当日は腕自慢の釣り人が二艘に分乗して、技を競い合った。みんな興奮して目は吊り上り、顔は紅潮しているのが面白かった。自分もそうだったろうと思う。大会の結論を言うと私が優勝したのである。当地でシャクリ鯛に入れ込んで5年、日ごろは貧弱な釣果しか上げられなかったのにこの日に限って幸運が私の肩に舞い降りてきたとしか言いようがない。他の釣り人の衆目の中、新聞記者から人生初めての取材を受けた。


次の年は三位であった。自作の和竿で臨み、テンヤ(針とオモリが一体)も自作であった。自分で道具を揃え入賞する醍醐味は格別である。それ以後船釣りはもちろん若い時からやっていたヘラブナ釣りにも更にのめり込み、次に筏釣り、フライ釣りにと面白さを発見していった。竿は自作の和竿である。生活の基準がサラリーマン人生から遠ざかり、竿作り一辺倒のスタイルになっていったのは、自然の成り行きであった。優れた和竿を追い求め、悩みと彷徨が始まった。




 


その2 竿作り事始め
                    寿作「和竿のための漆塗り」初版昭和60年
  

▲ 私には竿作りの特定の師匠はいない。これまでアドバイスを受けた釣り道具屋の主人や友人が師匠とも言えなくもない。一回だけその人を師匠と仰ぎ、竿作りの教室に通って教えを乞うはずであった。その方は寿作師匠である。もう20年近くの昔であり私の記憶も定かでなくなっているので、以下に記すことが間違っていたら訂正しなければならない。きっかけは友人が持っていた寿作のキス竿を見たことに始まる竿の姿形、漆塗りの輝き、どれをとっても申し分ない和竿であった。この方に教えを乞おう。

 

▲ そこでご自宅を訪ねようと思ったが、ある出来事で私の前歯が1本欠けてしまい、鏡に映る顔がまるでピエロみたいで、「さあどうしよう」と迷ったが、自分に鞭を打ってご自宅を訪ねた(中野区の住所と思うが確かでない)。玄関を開けて案内を乞うと出てきたのは女将さんであった。突然の来訪にも驚く気配もなく、私の来訪理由に耳を傾けていた女将さんは理由を聞き終わったあと、実は師匠は入院加療中であり、ご希望は悪いけど添えかねますとの言葉であった。私には運がないなと内心つぶやきながら、寿作著「和竿のための漆塗り」を分けて頂き辞去しようと思ったが、なんと部屋に案内してくれてお茶が差し出された。約1時間ほど、師匠の病気のこと、今のご自分の毎日の過ごし方など笑顔で話され、私の仕事の話にも興味を持って耳を傾けてくれた。歯が1本欠けたピエロの顔にも頓着しないでうなずいていた。拝辞しその帰り道、女将さんがおおらかな人柄であったこと、寿作あって女将さんあり、女将さんあって寿作ありと深く胸に刻んで帰途に就いたのを覚えている。後日師匠の訃報に接した時、まず頭に浮かんだのは女将さんの顔である。どんなに悲しんでいるか同情しても余りあった。


▲ このような次第で特定の師匠もなく、独力で竿作りの世界に入っていった。このような訳で独力で竿作りをしていった。幸いに私の地元は「竹の里」と知られ、孟宗竹の竹林が大きな面積を占めているが、所々に矢竹や布袋竹の竹藪が隠れるように見られた。地主に挨拶を済ませればある程度の本数を切らせてもらうことができた。ところが現地切り出した竹は、火入れしてからち3,4年の後、和竿にしようと試みると、用途に耐えるのは10本に1本あるかないかであった。とにかくその内の1本をカワハギ竿に仕立て、乗合船に持参したが、他の人の和竿と比べてわが竿の姿形の恥ずかしさにすぐ袋に収めてカーボン竿で釣りを続けた。その情けなさは今でも甦ってくる。どのような竹をどのように切り組みをしていいか迷いに迷って出た結論が、プロの竿師が切り組んだ素材を取り寄せ徹底的に分析することであった。上の写真は名人のキス竿の切り組み方を曲尺、ノギス、ときにはマイクロメーターまで使って分析したノートの一部である。キス竿一本についてのノートは3,4ページになる。続いてタイ竿、メバル竿、シャクリ竿、ヘラ竿、渓流竿等の切り組み済からも大いに勉強させてもらった。これが5,6年つづいたであろうか。


▲ 名人の切り組みを真似る(学ぶ)ようにして、延べの原竹から自分で切り組みができるようになってきた。竹素材を多く扱う釣具店に行って竹選びをする度に、店員から必ず必ず一つ切り組みのヒントをもらうに心がけたものである。竹を手に取り、直に経験者から話を聞くこの経験が大いに役立ったことは言うまでもない。自己流だけでは不安なので、どうしても第三者の目が必要である。友人に相談すると竿のテスターになってくれると言うので渡りに船である。


▲ ある日友人はいつものように釣りが終わるとわが家に立ち寄り、竿の講評をしてくれた。今回の自作竿は内心では自信を持っていたので早く論評の言葉がほしかった。ところがあに図らんや友人は、「これは持ち重りがして一日とてもくたびれた」の感想から始まり、遠慮会釈ない論評をした。耳をふさぎたくなるのを我慢して聞いて、友人が帰った後、ロッドスタンドに掛けてある他の自作竿を見るのも苦しくなり、焼け酒を飲んで寝床で悪態をついて朝を迎えることになった。これはいまでは笑い話となるが、苦しい出来事であった。同じ友人の勧めもあって、他流試合のつもりでオークションに出品してみることにした。どこの馬の骨とも知らない竿作り師に向ける目の厳しさにたじろぎもあったが、そのうち愛用してくれる人も現れて数十本落札を得た。


歩んできた道を振り返る時、特定の師匠がいない理由でとんでもない遠回りをした思いである。遠回りの良さもあるが、若くない私には痛手である。なんでここまで続けられて来たのかと自問する時、竿作りは楽しいの一言に尽きる.。










 

その3 第二の趣味
 

                棗、菓子入、手拭置
  
  

▲ 竿作りには特定の師匠がいないのに趣味の世界には師匠がいる。おかしな話である。10年ほど前、ある人からシャクリ竿の修理を頼まれた。穂先の付け直しと杭の取り換えは簡単に済んだが、漆塗りの修復はどうしても当時の私にはできなかった。お椀などで見られる金箔加飾の塗りである。関係の書物をみても、もう一つわからない。困り果て名の知れた老舗漆器店を訪ねた。手頃な漆器を買い終えた後、番頭に訳を話をしてどなたか塗師と紹介してほしいと懇願したところ、捨てる神もあれば拾う神もありで紹介の労を取ってくれた。その方が現在の師匠である。



▲ 早速問題の竿を持って塗師の門を叩き、経緯を話して修復の仕方を乞うた。塗師はそれが東北地方の秀衡塗(ひでひらぬり)であることを指摘した上で、詳細に修復の仕方を伝授してくれた。あまつさえ後日言い足りない事があるということで、長文の説明書きを頂いた。この段階ではこの塗師がどういう方なのか分からない。


▲ お蔭で修復が終えて、先の漆器店の番頭にお礼に伺うと驚天動地のことを仰る。あの方は、漆掻きから精製法、そして津軽塗、若狭塗、輪島塗等各種の塗りに通じており、もし居なくなったら坂東(ばんどう)にとって大きな損失となるだろう。そういう方だとは知らず、ご自宅で図々しく振る舞った自分の所作が思い出され、赤面ここに至りである。ご自宅に漆を入れる曲物(まげもの)が所狭しと置かれていた理由がこれで分かった。


▲ それ以来、あの方に漆塗りの基礎から教えてもらいたいと願いが日に日に募り、恥も外聞もなく再度門を叩いた。意外にも「これも何かのご縁でしょう」との言葉を頂き、出入りが許された。ただし正式な門弟でない事、和竿の話題は一切なしで茶器を中心とした漆塗りであることを言い渡された。また自分の家で漆塗りを行い、作品を持参して講評を受けるという形にもなった。上の写真は私の作品の一部だが、「これはとても素人とは思えない」と望外のお褒めの言葉を頂いた物である。その1年は竿作りは一切やらずに、茶器の塗りだけに没頭した年であった。お褒めの言葉はこれ一回だけである。



▲ある日、けいこが済んで女将さんが用意してくれたお茶を飲んでいた時、日ごろから胸にあったことを述べてみた。つまり私が十代の少年だったら、先生に弟子入りして漆塗りを極めたかったという思いである。そのあとで先生が述べた言葉が、いまでも心に突き刺さっている。「飯食えないよ」この一言で先生が歩んできた道の厳しさを悟るとともに、伝統文化を守るという命題を掲げているこの社会は本物だろうか


 


その4 最近の心境ーオシャレだった父親
  若き日の父親


 ▲ 見ず知らずの赤の他人の家族の話など、面白くもおかしくもない目くそ耳くその類である。それは重々承知している。私は今年、亡くなった父親と同じ年齢となり、西方浄土の西の中空をぼんやり見つめることが増えてきた。どこかの場所を借りて、父親への鎮魂歌を書きたいと思ってきた。


遠い昔、私の小学校6年生の頃。
教室内外で、「お前には学がない」という言葉が子供たちの間ではやった。はやらせたのはクラス一番の美男子のもて男であった。言われた方は笑っていられない。お鉢が私のほうに回ってきた。算数の計算を間違えて「学がない」と言われそれは我慢できるとして、野球で三振しても「お前には学がない」と言われる


よし、学のあるところを見せてやろう。ある日父親と二人で電車道を散歩していた時である。電柱の看板にアメリカ映画『水兵さんには暇がない』というポスターがあった。ここがチャンスと思い、「おとうちゃん、あのポスター、水兵さんにはガクがないと読むのでしょう」、「ばか!水兵さんにはヒマがないだ」。


なんとこの自分、暇という字が読めず、ガクが学問の学であることを知らなかったのである。それ以来今日まで、私は「暇」という字に敵対意識を持っている。できるならすべての印刷物からこの字を排斥したい


父親はこの小事件に大きくショックを受けたらしく、この子の頭が悪いのは鼻づまりがあるからという結論に達し、息子を耳鼻科に通わせることになる。父親は関東大震災では地割れの中に落ちそうになり、太平洋戦争中はさんざん辛酸をなめた。戦後ようやく平穏、平和な生活が送れると思ったら、このバカ息子をかかえるようになった。


父親の苦労が今ようやく分かるようになった。『少年老い易く学成り難し』いまだ無知、浅学の私は天国にいる父親にわびている。



 

 Home

制作過程1 (カワハギ竿)
  
 
制作過程3
(ヘラブナ竿)

制作過程4(タナゴ振出し竿)
 
小わざ・小道具1
(定盤・内径削りなど)
 
小わざ・小道具2
(漆塗り)
 
小わざ・小道具3(紙筒の室・継ぎ順番など)

小わざ・小道具4
(クジラ穂先の作り方・ガイドの配列など)

わざ・小道具5(矯め木・火入れ)
 
商品1 (完成品)
  
 
竿作りつれづれ1 (横浜竿など)

竿作りつれづれ2 (竿師の一日など)
 
プロフィール
 
特定商取引法
  
御質問に答えて(newページ)